時代別、アトピーの考え方

アトピーは難病ではなく、ステロイド外用薬と保湿剤を適切に使った、アトピー標準療法があります。

 
・なぜ、アトピーに対する情報が混迷しているのか?
竹原和彦ドクター(金沢大学・皮膚科教授)の、『患者から学んだアトピー治療』(光文社 カッパ・ブックス 2002年)に書かれていました。
ページ中ほど(p111-135)に、章を1つさかれています。

時代ごとに以下にまとめてみました。
竹原ドクターの該当文章を全部引用すると長くなり、また読みにくくなると思いますので引用は一部にとどめ、私の要約を書きました。

 
・時代別、アトピーの考え方

■70年代
ステロイド外用薬に対して、杜撰な使い方をするような意識が概してあった。
例えば、化粧かぶれや予防に顔に塗っていたり、よく効くので顔にも強いステロイドを黙って塗っていた、など。この意識は80年代に入ってもしばらく続いたようだ。

■80年代
杜撰なステロイド外用薬の使われ方がされないように、皮膚科学会の中で警告をする論文が出された。特にに対する強いステロイドを連用しないといった注意が、浸透されるようになった。

■90年代
ステロイド・バッシングが、テレビや雑誌などのメディアを通して駆け巡る。
発端となったのは、70年代にストロイド外用薬を顔に連用していた女性が、80年代に(酒サ様皮膚炎を起こしたとして)民事裁判を起こし(原告勝訴に近い形の『和解』)、この90年代にその女性の活動がメディアに広がったのがきっかけのようです。
この女性のHPがありました。(こちら

こうして、ステロイド外用薬に対する意識が変わっていきました。このようなものでしょう。
ステロイドの使い方を誤れば危ない⇒ステロイドそのものが危ない(意識の変化)

今に至るまで活況な、アトピービジネスが広がったのも、この頃でしょう。

一方で、竹原ドクターは金沢大学にアトピー外来を90年代に開設します。
その経緯はこうです。

1995年の4月より「アトピー外来」を開設しようとした際にも、教室の中から反対の声があがりました。「大学病院は、重症例、診断の困難な例を中心に診るところです。アトピー性皮膚炎は大学病院で診る病気ではありません」と。しかし、私は「アトピー性皮膚炎の患者さんは、心理的には重症な例がほとんどであり、その医療の混乱は社会問題だよ。それを解消するのも大学病院の使命です」と言って、アトピー外来の開設を決めました。私自身にとって、膠原病の診察・研究と二足のわらじを履くようになった、感慨深い時期の話です。(p89-90)

■2000年代
日本皮膚科学会から、一般向けにも情報が発信されています。

2001年11月、日本皮膚科学会の治療ガイドラインを一般向けの啓発書として「暮らしの手帖社」から出版しました。その本について、真っ先に紹介記事を書いてくれた某全国紙の記者は、かつて反ステロイドキャンペーンの記事の急先鋒にあって多くの記事を書いた人でした。
別の新聞社の記者からもこのように言われました。「我々も学会からきちんとした情報の発信があれば、それなりの記事を書きました。しかし、1990年代の前半から半ばにかけては日本皮膚科学会は沈黙していました。情報の発信無くして、報道なしですよ」。この言葉は私の心にずっしりと響きました。(p124)

 
・海外のアトピー報道
竹原ドクターの引用のみを載せます。

なお、海外ではアトピー性皮膚炎がメディアによって大きく取り上げられることはほとんどないようです。米国のアトピー性皮膚炎治療の第一人者であるハニフィン教授は、過去20年間でアトピー性皮膚炎について取材を受けたのはNHKスペシャルの取材チームとニューヨークタイムスの東京支局の2回だけだと来日公演の際に述べ、日本のアトピー報道の過熱状態について驚いていました。(p113)

 

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